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長野に首都機能を移転 松代大本営跡・象山地下壕を見学

こちらは以前のブログからの引っ越し記事です。

長野市の松代は真田氏のお城があった城下町です。
第二次世界大戦末期、その町はずれにある三つの山に地下壕を掘ってそこに首都機能を移転するという計画がありました。
計画が実行されること無く終戦を迎えましたが、そのうちの一つが一般に公開されているので見学してきました。

訪問:2022年11月

松代の町

前述したように、松代は城下町。こちらが松代城です。
真田が仕えた武田家のライバル・上杉家の領地にも近い要衝。

お城の目と鼻の先には2012年に廃止となった長野電鉄屋代線の松代駅があります。
今回見に行く地下壕の建設に際し、この路線が物資の運搬に使われたそうです。

地下壕のある象山へ

松代の町の中心部から少し南へ行ったところに象山があります。
大戦末期、陸軍によって造られたこの地下壕は平成元年から一般公開が始まり、無料で見学をすることができます。

地下壕の全体図がありました。
山の下に網目のように通路が張り巡らされていて、見学できるのはそのごく一部です。
信州大学の研究施設もあるようですね。

地下壕の解説

入り口の近くには日韓の文字が刻まれた祈念碑があります。

祈念碑の案内板。終戦から半世紀経ってから設置されたのでしょうか。

中に入る前に、ここでヘルメットを装着する必要があります。

地下壕を歩く

いよいよ地下壕に入ります。
入り口付近は思ったよりも天井が低くて、ヘルメットのありがたさを感じました。

坂を下った底から入口方面を見る。
こうやって見るとけっこうな下り坂です。

最初のほうは分岐がほぼない一本道。
三人くらいなら何とか並んで歩けるかというくらいの幅です。
そんな余裕は無かったのか、ゴツゴツした掘ったままの断面。

最初の注目ポイントが現れました。
岩肌に突き刺さったままの削岩機のロッドです。

どんな機材なのかは知りませんでしたが、案内を読むとよくわかります。
こんな感じで掘削を進めていたんですね。

すぐ脇には横道があります。
このあたりから通路が碁盤の目(細長いけど)のようになっていくエリアですね。

この細長い削られたような跡は、先ほどの案内板にもあったロッドの痕跡でしょうか。
岩肌を見ながら歩いているとすぐに見つけることができます。

見学コースは地下壕の真ん中を通るようになっているため、十字路が連続します。
横道には入れないようになっていますが、これは少し怖い。。

コースの中間を過ぎたあたりで直角に折れます。
図を見ると歩けるのはほんの一部だということがよくわかります。

地下壕に電気は必須ですよね。
見ることはできないようですが、その痕跡はあったと。
電気が通っていたとはいえ、地下ですから湿気とかは大変だったろうなあ。

この地下壕には政府機関と日本放送協会、中央電話局が置かれる予定だったのですが、有事とはいえこの環境でまともに機能するんでしょうか…

非公開部分に書かれた文字が展示されていました。
何を思って書かれたのか…文字には生々しさがありますね。

地下壕内には石屑を運び出すための軌道も設置されていたようです。
ここも手作業だったとは…

網の向こうに見えるあれがレールを固定していた枕木の跡ですね。
廃線跡を歩いていると枕木の跡はけっこう残っているものですが、ここは風雨の影響もないためにくっきりとしています。
枕木やレールは終戦後すぐに撤去されたのかな。

ロッコが横切っていた場所

とても興味深い地下壕もここで終わりです。
行き止まりにも当時の物が紹介されています。

なるほど…この性格な網目状の通路を掘るのに欠かせないものですね。

これが測点跡かあ。
ブレブレですが、ここに重りを吊るして測量をしていたということですね。

そしてこちらが終点です。
もちろんこの先もまだまだ通路は続いていますが、明かりが無いと真っ暗。

象山地下壕…他ではなかなかできないような体験ができました。
こんな場所は貴重ですし、これを公開してくれたのがありがたいです。

最後に、地下壕の入り口近くにある歴史館を見てきました。
こちらは民間の施設なのでお金はかかりますが、中に展示されているものはどれも貴重なものでした。
松代大本営を巡る際には寄ったほうがいいですね。