日々のおでかけ記録

町並みや気になった場所の記録

新発田市にある二つの廃墟 ハヤカワデパートとシバタレジャー会館

新発田市の町中には長い商店街があり、その途中に市役所もあります。
その通りに、廃墟になって長い時間が過ぎた建物が二つあるので見に行ってきました。

訪問:2023年5月

ハヤカワデパート

新発田駅から前の通りをずっと進んでいくときれいな建物が見えてきます。
ここが新発田市役所。

現代風なガラス張りの市役所のすぐ横には、対照的にボロボロな建物があります。

こちらが一つ目の廃墟、ハヤカワデパートです。
頂上に店名が描かれていたであろう部分。右側にあるのは垂れ幕のスペースでしょう。

ハヤカワデパートに関する情報はネットの記事を参考にするしかありませんでした。
開店は1973年で、閉店したのは1989年9月と、16年間の営業だったみたいです。
(こちらのブログが参考になりました)
新発田市が出している資料(PDF)によると、6階建てのようです。
他には、屋上に遊園地があったり、地下にピーコック(新潟が地元のファストフード店)があったりという情報を見かけました。

向かいに渡る。とても重厚な建物なのにひっそりとしています。
左の格子は地下フロアのようですが、カビくさい風が流れていました。

あまり空気を吸わないようにさっと撮影。
デパートらしく、地下は食品のフロアだったのでしょうか。

この窓は30年以上前の閉店時から開いている…とは思えませんが、今でも管理しているところがあるのでしょうか。

新発田中央町ビルという名前になっている
この建物には少し前までカラオケが入居していたようです。
ストリートビューを見る限り、2018年6月から2022年6月の間に閉店したみたい。

こちらがその入り口。
あまりデパートらしくはない柄になっちゃっています…笑

その隣には当時の面影を残す立派な入り口があります。
柱にはマーブルという名前のクラブのネオン(これはデパートらしくない)

ドアの取っ手は元の色がわからないくらいサビています。
目隠しの壁のような物があるため、なかの様子は全く覗えません。

この上にあるシャッターが見事でした。
月や惑星が描かれた宇宙に人工衛星スペースシャトルのようなものが舞っています。
開店当時はスペースシャトルはまだ無かったはずなので、途中からこの絵になったのかも。
廃デパートのなかでここには華がありました。

そして向かって一番右側の柱にはハヤカワデパートのプレートが残っています。
Hの字をモチーフにしたロゴが素敵でした。

続いて裏側へ。こっちはツタがすごいことになっています。

カラオケの入り口はこちらにもあったようですね。
4階に店があったということが驚きです。他のフロアはほとんど空っぽだったろうに…

中央部分には裏口のようなもの。
手書きのメッセージがあるので、クラブの入り口として使われていたとか…?

左側には荒れ果てた搬入口。
ここにトラックが着けていたのでしょうね。。

屋上の看板にはうっすらとロゴが残っています。
このデパートを運営していたハヤカワという企業ですが、五泉市にも大型の店舗を出していたり(のちにジャスコになり、95年に閉店。現在跡地は再開発されている)、「アップル」という食品スーパーを運営していたようです。
また、系列にバロンハヤカワという学生服のお店があるとのことですが、こちらは新潟市の古町に健在です。

少し遠くから見たハヤカワデパート
完成から半世紀が経ち、老朽化が進んでいるためにいつ無くなってもおかしくはないですね。。見に行くなら今のうちです。

シバタレジャー会館

二つ目の廃墟は、シバタレジャー会館
ハヤカワデパートのある通りを少し進むと、屋上にボウリングのピンが立っている特徴的なビルが見えてきます。

この建物にはボウリング場の他に、映画館、カラオケ、パチンコが入る、まさにレジャーのための施設だったようです。
ただ、この建物についての情報は少なく、開業・閉業の時期はわかりませんでした。
映画館は1947年開館、2005年閉館とのことなので、少なくとも閉業は映画館と一緒なのではないかと思われます。

一階は薄緑のタイルが印象的です。
ストリートビューを見ると、2015年までは映画館やカラオケの看板が設置してあることがわかります。
2015年9月。次の2018年6月では看板が消える。

裏手へ。間口は細いのですが、奥行きはあります。
結構クラックが見えますね~詳しい時期はわかりませんが、やはり70年代の建物でしょうか。

退廃的な雰囲気のある裏側。
ハヤカワデパートからこのビルの裏手の一帯は飲み屋も多い歓楽街なので、きっとこのビルも賑わっていたのだろうなあ。

どうやっても中の様子などは見られないので、ここまでですね。
このビルのある通りはドーナツ化が進んだ現在ではシャッターが下りた店も多いのですが、当時は人がたくさんいたんだろうなあ。
屋上にある黄色いピンはなかなかおもしろいので、こちらも見に行くならお早目にですね。

ビルの裏手にはパブやスナックがあります。
手前にあるクラシック喫茶が気になりますね。

この後、ビルのすぐ横にある煉瓦屋という喫茶店でコーヒーを飲みました。
こちらも老舗なので、当時のこととかよくわかるんだろうな。

酒造創業者の大邸宅・松籟閣@長岡市(越路) その2(仏間、松籟の間、洋風寝室・朝日の間)

朝日酒造の創業者、平澤與之助が建てた松籟閣の二回目です。
一つ一つの部屋のこだわりようがすごいのです…!

訪問:2023年11月

仏間

まずは建物のほぼ中心にある仏間です。
仏間といってもただお仏壇があるだけではなく、上に神棚がつながっています。
新潟ではよく見られる配置、と解説にありましたが、初めて見ました…笑
ふつうに珍しいと思います。

仏壇の扉は右から春夏秋冬をモチーフにした蒔絵と螺鈿細工となっています(この画像は秋と冬)

取っ手も細かい。現在、中に仏壇は入っていないようです。

欄間に居るミミズクの鋭い視線を受けながら隣の部屋へ。

松籟の間

接客室として使っていたらしい、こちらの部屋もまたすごかった…!
この建物の名前、松籟を冠する間ですから、むしろ当然でしょうか。

襖の絵は秋田県出身の福田豊四郎、押入の絵は上越市出身の横尾深林人という画家の作品だそうです。
幽玄さを感じる襖絵も、植物と鳥が描かれた押入も好きですね…

廊下はとても整った雰囲気があります

ガラス戸の装飾

ここで松籟閣を彩るガラス戸の装飾をご紹介(正式名称はわかりませんが…)
刀の鍔みたいですね。これが各ガラスの隅に配置されています。

こちらは植物モチーフでしょうか。
天狗の団扇みたいなパーツの中にも彫りがあります。

こちらは菊の花のような感じ。
どのガラスもこのようなパーツがつけてあって、細かさに歓心してしまいます。

洋風寝室・朝日の間

松籟閣の最も奥にある部屋へ向かいます。
途中にあった洋風食堂。昭和初期の当時にしては珍しいものだったのでしょう。

この廊下の先にあるのが洋風寝室と朝日の間と呼ばれている書斎です。
戸もありますし、ここからはプライベートな空間という感じがしますね。

部屋の中に入ってしまいましたが、こちらが洋風寝室です。
板張りの床やドアがあるのが特徴的ですが、なんといってもあちらの丸窓に目がいってしまいますね。

様々な色ガラスがランダムに配置された丸窓。
これは素敵としか言いようがないです。
外から見ると和風な邸宅ですが、ガラスがたくさん使われていて、これが近代和風建築か!と思い知らされますね。

部屋にはこれといったものは無かったので、お隣の書斎・朝日の間へ。
引き戸のタイルもおもしろかったのですが、写真がボケボケ…

こちらが書斎として使われていた朝日の間です。
ここもまた、床の間にある肌をそのまま残した木材が特徴的ですね。

天井も板張りになっている外周が編み込まれたようになっています。
何て言う技法なんでしょう…

当主の居室ということで、お庭の眺めも抜群です。
移築されているので当時の景色とは少し違うと思いますが、ちょうど紅葉の時期で素晴らしい眺めでした…!

これで全てのお部屋を見ましたが、最後に朝日の間のすぐ外にある戸棚を。
特に解説などはありませんが、こんなところにもおもしろいものがあるとは。

朝日酒造を代表するお酒、朝日山のステッカーを貰いました。
パソコンとかに貼りたくなりますね…笑

(前回の様子)

niwakanegon.hatenablog.com

三ノ宮駅すぐ近くの公認市場・二宮市場

神戸の中心地である三宮。そのJRの駅の近くに、時間が止まったような公認市場があります。
シャッターの目立つ商店街ですが、こぢんまりとしていて独特な断面図と空気感から、よくある商店街とは違うなあと感じました。

訪問:2022年10月

市場に連なる商店街

JR三ノ宮駅から5分もかからず行くことができる商店街、二宮商店街です。
今回お目当ての二宮市場はこの中から入ることができるのですが、ここに来るまでですでに人通りが少なかったです。

多くの観光客でにぎわう、多くの人がイメージするだろう神戸とは違い、ここは地元に根差したという雰囲気。
釣り下がっている看板と大きな広告募集が目立つ。

公認二宮市場

こんな商店街の途中に二宮市場への入り口があります。
この背後には商店街の入り口もあるので、十字路みたいになっています。
実はこの場所、2022年の大ヒットアニメ映画の『すずめの戸締り』にも登場します。
この左後ろにあるお店が写るシーンがあり、二宮市場も若干見えたのですが、映画を観に行ってついこの間自分が行ったことのある場所が出てきたので驚きました(廃要素のある物語なので好きな人にはオススメです)。
このときは市場の入り口しか撮っていなかったのが悔やまれる…

そんな二宮市場ですが、入ってすぐ右にあるお店は営業しているようでした。

ですがそれ以外はと言うと、、、
どこまで行ってもシャッターが続き、長らく人が立ち入っていないような雰囲気さえ感じました。
一応ちゃんとした公式サイトもありますし、そこにはお店も載っていたのですが。
日曜の昼過ぎという時間のせいでしょうか。

9時14分で止まった時計

今ではこんな様子の市場にも、それを管理する事務所があるのだなあ…
正直人が集まっているところを全然想像できません。

途中には分岐するところもありました。
屋根も分かれていますが、この何と言っていいかわからない素材の組み方に味があります。
この市場ができたのは大正12年で、アーケードになったのは昭和35年ということなので、築60年は超えているということですね。

その先はすぐに行き止まりでしたがお店はあったみたいです。
特徴的な形をした屋根は光を通します。

こんな膨れたようなシャッターは初めて見ましたね。
ちなみに、まったく人通りが無いというわけではないです。

よく見ると空調が天井から下がっています。
昭和59年に設置されたもののようですが、使われていなさそうな様子。
クーラー付きの商店街ってすごいなあ。。

反対側に出てきました。
この通りも商店街となっていますが、この市場の入り口には惹かれてしまいます。

この存在を知った時から行ってみたかった場所でした。
営業しているお店はあるものの、いつ無くなるかわからないなあと感じてしまいました。
実はこの一つ北にも市場の通りがあったのですが、すでにそちらは大きなマンションになっていました…

最後に二宮商店街を通り抜けてみました。
二宮温泉という名前には魅力を感じますね。

酒造創業者の大邸宅・松籟閣@長岡市(越路) その1(下座敷、小座敷、応接室)

新潟県長岡市の旧越路町に、朝日酒造という大きな酒蔵があります。久保田朝日山が有名な商品でしょうか。
その本社屋のすぐそばに、創業者が建てた見事なお屋敷があります。

訪問:2023年11月

松籟閣の入り口

本社屋のすぐ横に、立派な構えのお屋敷があります。
こちらが松籟閣の入り口です。
松籟閣は朝日酒造の創業者、平澤與之助が建てた住宅で、完成は1934年。
もとは少し本社屋側(左のほう)にあったようですが、2001年に曳家で移築、その後2018年に重要文化財になりました。
基本的に4月から11月の月水金土しか開いていないようなので、見学の際には注意ですね。

中に入るとさっそくおもしろい光景が見えてきました。
正面の入り口があるのは和風ですが、その横に洋風のお部屋が付いています。
これは期待…!

来場者用の玄関で靴を脱いで中へ。
まずは左側から見ていきます。
この建物の廊下は全て欅の一枚板が使われているようです。
しかも節を隠すために別の木材を組み込むという手の凝りよう…!

下座敷

こちらは下座敷。子供部屋だったようです。

床の間にある地袋はきれいに湾曲していて、珍しいものですね~
こんな小さなところでも綺麗な絵です。

上から、霞、千鳥、波のモチーフが配されている欄間。
千鳥が特にかわいいですね…笑

あとは、入り口の戸も曲線が使われていました。
子供部屋ならではの柔らかさなのでしょうか。

小座敷

次に、入り口のすぐ右手側にある小座敷へ。
こちらはお客さんの応対に使われていたみたいです。
このような部屋でも手を抜かない、細かすぎる障子組子です…!

それぞれの戸ごとにデザインが違って、目が忙しいくらい。
柱にはタクシーの電話番号シールが貼ってあり、実際に使われていたんだなと感じることができます。

すり硝子に組子

床の間の柱はクヌギが皮付きのまま使われています。
地袋も繊細…!四畳半の部屋の中に美しさが凝縮されていました。

田豊四郎 作

小座敷から出て右に進むと正面入り口側にある、独特な形の窓。
花頭窓というらしい。廊下になんともなしにある窓でも細やかなこだわりが伝わってくるようです。

応接室

小座敷から出て右手、最初から気になっていた応接室のほうへ向かいます。
廊下の窓すらも凝っていて、これぞ近代和風建築ですね。

ここが応接室の入り口。欄間(と言っていいものか…)もこれまでの和室とは違う雰囲気です。

これが松籟閣の応接室です。
どうでしょう、この色々と目が行ってしまう芸の細かさ!
先ほどまでと同じ建物とは思えない空間が広がっています。

洋風なランプに、天井の飾り

この部屋で最も目を引くのはやはり暖炉と両脇にあるステンドグラスでしょう。
暖炉と上にある絵を中心にシンメトリーです。
この建物のほとんどは地元工務店により設計されましたが、この部屋と奥にある洋風寝室については清水組大友弘という人が設計にあたったということです。
清水組は現在の清水建設で、大友は以前このブログでも取り上げた新津記念館などを設計した方です。ここにつながりがあるとはなあ。

ちなみに、こちらの暖炉の下部にはコンセントがあります。
薪をくべる暖炉ではなく、電気式だったようですね…笑

良い部屋がたくさんあったので、次回へ続く……

2024年3月で閉場・下高井戸駅前市場を見てきた

東京都世田谷区、下高井戸の駅前にある商店街が今月末で閉場するということで、見に行ってきました。
最近は再開発による閉場というパターンが多いですが、こちらは再開発が決定したというわけではないようです。

訪問:2024年3月

駅前市場へ

京王線普通列車に乗って下高井戸駅へ。
ホームがカーブを描いているので、電車との間にまあまあ大きな隙間が空いています。

お目当ての市場は駅のすぐ北側にあります。
駅前の道路が入り組んでいるエリアにある、屋根付きの商店街といった感じ。
1956年に個人商店を営む方々が共同で建てた市場ということですが、今月末をもって閉場となります。

市場の名前や、入っているお店が載っているプレートも味がありますよね。
建物を見ると、やはりなかなかに年季が入っています。

市場の真ん中にある看板も当初から残っているような雰囲気があります。
両側にある絵も良い。

市場は真ん中に車も通れる道があって、その左右にお店が伸びるシンプルな構造。
突き当りのお花屋さんでアコーディオンの演奏があり、とても良いBGMになっていました。

反対側もお店が連なっています。
もうすぐ閉場ということでほとんどのお店はシャッターを下ろしていますが、どのお店も移転先があるようです。

豆腐屋鮮魚店がお店を開けていた

家が近かったら何か買って帰りたいところでした。

市場の端から。
すぐ横に小さなお社がありました。

真ん中の道路の、駅が無い側

駅と反対側に出てまわりを歩いてみました。

どのように整備していくのかはまだ模索している段階のようですが(検索したら杉並区の資料が出てきました)、まわりの商店街も何かしらの動きはありそうですね。

市場のまわりをぐるっと一周。なかなかの老舗と思われる青果店

駅前市場の端の出入り口までやってきました。
こちらにも様々な看板がところ狭しと。

まだ続いているアコーディオンの音色を聞きつつ、掲示を見る。
本当に長い歴史です。お店が開いている時期だったらかなり濃密な市場に見えたことでしょう。
最初で最後の訪問になりましたが、見に行けてよかったです。

高井戸駅前のそば屋さん

ついでと言ってはなんですが、駅の反対側にあるそば屋さんで昼食をとりました。
こちらもなかなかに歴史がありそうです。

中に入ってみると、隣の建物だと思っていたほうにもお店が広がっていました。
広い!

メニューはそば、うどんからご飯ものまでバラエティー豊かでしたが、そば屋に来たのでさか本そばを注文。
そばの上に色々な具が乗っていて満足感がありました!

甲府の廃墟みたいな歓楽街・新天街

甲府市の玄関口、甲府駅の北口から少し離れたところに、小さな歓楽街があります。
中に入ってみると、これが現代でも残っているのがすごいなと感じてしまいました。

訪問:2023年8月

それなりに大きな道路沿いに、一軒のビル?長屋?みたいな建物があります。
ともすると見落としてしまいそうな、この中が新天街です。

シンプルなファサードですね。
「新天街」と書かれた看板に小さな看板が入っていたであろう金具。

しかし看板から一歩入ると、激渋な光景が目の前に。
外から見ると一つの建物のように見えますが、実際は小道の両側に建物が並んでいます。

すぐに通り抜けられるような短い空間ですが、密度はすごいです。
二階部分を渡ることができる通路があるのもおもしろい。

ファサードは薄いぬり壁のようなもので建物が繋がっているような感じなんですね。
ここを繋げることに意味はあったのでしょうか…?

上下左右全ての方向をじっくり眺めながら歩いてしまいます。

暴力団追放の店」錆び錆びです。
夜のお店ならではな質感のある木製のドアも、とても年季が入っています。

シールタイプもあるみたいです。
その上には「料理飲食等消費税特別徴収義務者証」という文字がたくさん詰まった鑑札。
調べてみると、国税庁のサイトに詳しく載っていました。

遊興税は、大正8年(1919年)5月に石川県金沢市が初めて市税として創設しました。
条例は、「本市内に於ける料理店、貸席、貸座敷にて芸娼妓を招聘して飲食又は遊興をなし金員を消費せしものに課税する」となっており、芸妓の招聘を伴うことが条件でした。
(中略)
その後、遊興税は、遊興飲食税、料理飲食等消費税、特別地方消費税と名称を変えて存続しましたが、地方消費税の創設等の理由により平成12年(2000年)3月に廃止となりました。

遊興飲食税の始まり(答え)|税の歴史クイズ|税務大学校|国税庁 より(2024年3月閲覧)

なるほど~芸娼妓を呼ぶ場での税金が基になっているとは。
歓楽街ならではのものですね。

お店の隙間に、暴力追放地区の看板。
この一角だけで味わいが深すぎます。

そのお向かいには水色の細かいタイルが詰まった壁。
公衆トイレのようです。

周囲にはアンモニア臭が漂っています。
手前にあるの丸見えなのは男性用でしょうね。
個室は片方が壊れています。。

近くのお店にはこれまた色んなものが貼られています。
先ほどの鑑札に営業許可証、一番左のものは公安委員会によるカフェーの鑑札ですね!
実物は初めて見たかも…?

二階のほうを見ていると、一階よりも傷みが激しいように感じます。
もともと簡素な材質で造られているからかもしれませんが、ここだけ見ると不安になってしまう。

見れば見るほど不思議な感じがしてきます。
この中でも夜には営業する店があるのだからすごい。
(さっきから進行方向とは逆の向きから撮ってばかりです)

レーザー・ディスクは何者だ

じっくりと味わいながら通り抜けました。
以前はこちらにも建物が続いていたのでしょうが、全て無くなっています。
壁を見た感じ、比較的最近のことなのかと思いました。

空き地に落ちている看板。かつて軒を連ねていたお店でしょうか。

端のほうから残っている部分を見る。だいたい3分の1くらいが無くなっています。
まわりは普通の住宅街で、まさかこれがこんなところにあるとは思えない感じ。。

たった何十メートルかの小道でしたが、ずいぶんゆっくりとしてしまいました。
この状態で現在まで残っているのがすごいなあと思います。
これでも夜には営業をしているお店もあるみたいなので、機会があれば行ってみたいですね。

機那サフラン酒製造本舗・離れ座敷

以前、機那サフラン酒の鏝絵蔵について紹介しましたが、その奥に立派な"離れ"があるということでそちらも見てきました。
離れと言っても、主屋でもいいくらいの豪華さでした。
(鏝絵蔵の記事はこちら↓)

訪問:2023年7月

離れ座敷 外観

離れ座敷も含む見学ツアーは有料ですが、200円でした。微力ながら保存に役立ててほしい。。
主屋から鏝絵の蔵の解説を受けて、いよいよ離れへ。
離れの前はお庭があり、ここの岩は浅間山から運んできたものということでした。

こちらが離れ座敷です。大きい…!
こちらは昭和初期、1931年に完成。主である吉澤仁太郎が亡くなる10年前ですね。
屋根の上には鯱鉾があったようですが、今は取り外されて保管されているそうです。

一面にガラス戸が並ぶ

座敷の入り口とは思えない玄関口ですね…笑
奥も手前も造形が細かくて見入ってしまいます。

案内板

離れ座敷 内装

長い廊下でスリッパに履き替えます。
床板はケヤキの一枚板、天井は桐。左上にある丸太は一本の杉で、18mあるとか。
様々な木材を盛大に使っています。

解説を聞きながらお部屋を回りました。
いろんな素材が使われていて、覚えきれないくらい。
これを客人用に造るとはどんな趣味人なのかと思います…笑

竹と雀の欄間

廊下へ出る戸に描かれたボタン(おそらく)
陽が当たらないところにあるためか、今なお色鮮やかです。

二階にもそれはすごいお部屋があるみたいですが、立ち入ることはできませんでした。
整備が進んで行けば開放されるかなあ。

ここは何のスペースだったのか忘れてしまいましたが、天井が独特でした。

手洗い場。ここも豪華な雰囲気が漂います。
水甕(水道…?)のデザインとか凝ってますね~

男子トイレはすごい柄の陶器でした…!
波間の上を飛んでいく鳥たち。何を思ってこのようなデザインに…!
足置きも陶器ですが、最初見たときにスリッパかと思ってしまいました…笑

もう片方のトイレも同じ柄でした。

一周して廊下へ戻ってきました。すぐに回れる広さですが、見どころが多かった!
この建物を保護して整備してくれたことに感謝です。

廊下の窓枠には一つ一つ猪目模様が入っています。
この方向に門があって、池がある広い庭を見ながらこの豪勢な建物に来るような動線になっているということですね。

最後に吉乃川 酒ミュージアム「醸蔵」をご紹介。
サフラン酒製造本舗から少し歩くと新潟を代表する日本酒の一つである(と思う)吉乃川の、酒蔵を改装した施設があります。
お酒を飲んだり、様々な展示を見ることができる無料の施設なのでおすすめです!