日々のおでかけ記録

町並みや気になった場所の記録

新潟市・古町周辺の純喫茶

転職により、新潟市から東京へ引っ越して2か月が経ちました。
引っ越しの前に、市内中心部の喫茶店にいろいろと行ったので、訪問順にまとめてみようと思います。

ナッツ 山浦珈琲店 本店

最初は上大川前通にある山浦珈琲店。レンガ調のファサードに木彫りの看板。
同じ通りにもう一店舗あるみたいです。

渋いマスターが切り盛りしていて、老舗といった雰囲気でした。
カウンターの内側にはコーヒーカップがずらりと並んでいて、どれも素敵なデザイン。
この時は林檎のケーキを選びましたが、他にも何種類かありました。

(2021年6月6日訪問)

コーヒーショップ SANTOS

二件目は東堀通から古町側に行く横道にあるSANTOS。
こぢんまりとしていて、見かけたら入りたくなってしまう感じです。

店主のおばさまがお一人でされているお店でした。天井が高く、広い印象を感じる。
このときもケーキセットを頼んだようです。
コーヒーはたしかサイフォンでした。

(2022年10月2日訪問)

シャモニー 古町店

新潟市の老舗店、シャモニーの古町店。
ふるまちモールのアーケード内にあります。

比較的大きなお店なので、スタッフさんが何人かいます。
チーズケーキとのセットを頼みました。
落ち着いた雰囲気の店内の席と、アーケードに面したテラス席もありました。

メッセージがあるお店もあるので、
伝票の裏はつい確認しちゃいますね

(2023年7月9日訪問)

六曜

冒頭の山浦珈琲店と同じ通りにある六曜館。京都と山梨で同名の喫茶店に行ったことがあります…笑

こちらはお一人で回されているお店で、いかにも純喫茶という感じ。

今回はモーニングを食べに来ました。トーストにサラダにゆで卵という基本的なセット。
暑い日でしたが、朝ならまだ優しい光の中で過ごすことができます。

(2023年8月11日)

香里鐘

転職を決心してから、訪問ペースが上がっています。
お次はふるまちモールにある香里鐘(カリヨン)です。

窓際の席で、アーケードを見下ろしながら過ごしました。
母親も学生時代に行ったことのあるお店だそうで、インスタに上げたら(相互フォローです)懐かしい~と反応がありました。

色々なセットの中から、トーストとサラダのセットを選びました。
トーストは下のパン屋さんから仕入れているらしく、一味違いました。

(2023年9月10日訪問)

コーヒーショップ カラカス

お次は古町から少し離れて市役所の方面へ。東中通に面したカラカスです。
茶店好きにはたまらない店構えですよね。

コーヒーと唯一の軽食メニューであるピザトーストを注文。
シンプルでおいしい。

こぢんまりとした老舗です。そのうちに店主のおばさまのお友達がいらっしゃって、お皿洗いをしていました。
最初は店員さんなのかと思いましたが、ただのお友達のようです…笑
店主さんとお友達の方とお話することもできて、ほっこりすることができました。
ここに書いたお店の中で一番好きかも。

(2023年9月16日訪問)


(マップの情報が古いらしく、日曜はやっていませんでした)

珈琲専門店 チップス

お次も東中通のお店。市役所と反対方面、日銀のあたりにあります。
洋風でかわいらしい感じ。

神戸のお店から仕入れた豆を使っているようです。
コーヒーを頼みましたが、この時期限定というコーヒーゼリーも食べればよかったなと今になって思います。

(2023年9月23日訪問)

 

ジャズ喫茶 スワン

ここは少し系統が違うかもしれませんが、雰囲気が良いのでご紹介。
古町に何店かあるジャズ喫茶の中でも中心的な存在だと思います。

スピーカーがあるのはもちろんですが、ピアノとドラムが置いてあるのはライブもやるジャズ喫茶ならでは。
光っている丸いあれも面白いですね。

たくさんあるレコードから選ばれた一枚がかかっています。
コーヒーを頼みましたが、この空間と音楽が主役ですね。

デューク・エリントンのサイン(!)

昔のライブのフライヤーやサインが飾ってあり、ジャズを聴く人からするとそれらが見られるだけで嬉しい。

(2023年12月2日訪問)

シャモニー 本店

最後に行った喫茶は、上大川前通にあるシャモニーの本店でした。
古町店も良い雰囲気でしたが、さすが本店の貫禄です。

ウナギの寝床という感じの細長い建物がまた良いですね。
このときは手前にある高くなっている席で。背後の低いほうにもたくさん席がありました。

ここはやはりブレンドで。サイフォンコーヒー好きですねえ。。
とてもゆっくりできました。
心残りがあるとすれば、モーニングを食べに行く時間が無かったことでしょうか。

(2023年12月14日訪問)

以上、9店舗も紹介していしまいましたが、これより前に行ったお店もあと何店舗かありますし、行きそびれたお店もあります。
この古町というエリアは人もお店も減っているところではありますが、良いお店はたくさんあるので、是非とも訪れていただきたいものです…!

柏崎市上輪のコンクリート蔵らしき建物が気になった

いつものようなしっかりした記事ではなく、ふと気になった建物があったので書いてみました。
柏崎市の海沿いにある集落に、他ではあまり見たことないような蔵?がありました。

訪問:2023年11月

信越本線の旧線を追っている最中に通った、柏崎市の上輪(あげわ)の集落です。
払川の河口にある集落で、高い崖と海に囲まれたような土地です。
奥にある赤い橋は国道8号

山にセで「ヤマセ」?

線路跡を歩いていて、ふと見えた建物に目が引かれてしまいました。
蔵らしい外見ですが、コンクリート製…?屋号らしき文字が付いているのも良いです。
もしかすると戦前から残っているものかもしれません。

線路跡の閉鎖されたトンネルを見終えたので、集落のほうへ降りてみました。
まわりに人の気配はありません。

近くで見ると、どっしりとしたたたずまいに見入ってしまいます。
基礎部分は石で、入り口には木造の小屋みたいなものが付いています。
個人宅の蔵か物置なのでしょうか?

裏も見てみました。
こちらには蔵にあるような小窓に、小さな戸が付いています。
この周りは空き地が広がっています。過去の航空写真を見ると、こちら側に大き目な建物があることがわかりますが、この蔵だけ残ったようですね。
どのような由来があるのか地元の人に聞いてみたかったけど、誰もいないのでこのまま先へ向かいました。
こんな建物も存在するんだなあ。

重伝建地区の宿場町・熊川宿(上ノ町・中ノ町)

福井県小浜市にある重伝建地区、熊川宿を見てきました。
福井県には重伝建が二つありますが、その両方が小浜市内にあります。
こちらは京都へ続く若狭街道(鯖街道)の宿場町で、中継点として賑わっていたそうです。

訪問:2022年10月

上ノ町

熊川宿の南、京都の方面から歩いていく。
観光地化していますが、住んでいる方もいます。

滋賀県へ抜ける国道303号から脇道に入ると熊川宿です。
かつてはこちらがメインストリートだったのですが。

幕府から正式に認められた街道ではないのですが、しっかり番所がありました。
主要な宿場町には欠かせない本陣は無いようですね。

この宿場町では赤い色をした建物がちらほらあります。
この色はベンガラのようです。

先程の建物は横から。これこそ宿場町の建物って感じがしますね。
隣は潰れていますが…

道の端には水路が流れています。
昔はここに降りて水を使ったりしたのでしょう。

歴史を感じるお宅。歴史を感じます。
昔に使われていた家財道具が外に出ている。

通りを見ていると、全体的に赤みかかった建物が多く感じますね。
どうしてベンガラ色を付けたのかはちょっと調べた程度ではわかりませんでした。。

二階の天井が低くて袖壁がある建物が見えると雰囲気が増しますよね~
築何年なのでしょう。

中ノ町

途中で川を渡る。ここからはお店も多いエリアです。

少し歩くと比較的最近に建てられた木造二階建ての建物が見えてきました。
この時は開いていませんでしたが、1940年に建てられた熊川村役場の建物を使った資料館のようです。

役場

お店が並ぶ一角。人通りも増えてきました。
町屋が並んでいる風景は良いですよね。かつての賑わいの一部を見たような気分。

もと商店の建物かな。二階が格子です。

松木神社。
明治に入るまで小浜藩の年貢米が集まる御蔵屋敷があったようです。

年貢米はこの近くを流れる北川の舟運によって運ばれていたみたいです。
近くに川湊へ続く御蔵道が残っています。

熊川宿のほぼ中心。右には重要文化財になっている住宅があります。
問屋を営んでいた、荻野家住宅です。この主屋は熊川宿最古の町家(1811年頃)だそうです。

玄関を挟んで隣には荷蔵が建っています。
蔵が道に面しているのは珍しい気がします。

案内板

土間?までは入ることができました。
運送業の看板と、建物の写真が展示してあります。
一般公開はしていないようでした。

通りが国道に合流します。ここから先も熊川宿の町並みは続いていますが、この時はここで終わりなのだと思って引き返してしまいました。。
宿場町でよくある遠見遮断の部分だと思うのですが、やってしまいました…
この日は色々詰め込みすぎて焦っていたのですね。機会があればリベンジしたいです。

 

潰れた建物とサイロが残る 鳥甲牧場跡

GoogleMapを見ていて、"∴"で表される史跡等の施設があるとつい詳細を見てしまいます。
今回の廃牧場もそれで見つけたものですが、牧場の廃墟という存在に惹かれて現地へ行ってしまいました。

訪問:2023年11月

鳥甲牧場

お目当ての牧場は長野県栄村にありますが、新潟県側からアプローチしました。
秘境として名高い秋山郷の細い山道を抜け、不安になりながら山を登ると開けた場所に出ました。

緑色の大きなタワーサイロが目立つ、ここが鳥甲牧場跡地です。
昭和57年畜産総合対策事業 農業組合法人小滝肉用牛生産組合という文字が入っているので、これはだいたい40年ほど前のものらしい。
CRIONというメーカー(おそらく)については検索しても出てきませんでした。

国土地理院撮影の空中写真を加工して作成
(1977年撮影)

過去の航空写真を見ると、最も古い1947年の写真には姿が見えず(見落としているかもしれませんが)、次の1971年の写真には写っていました。
山奥だから撮る頻度が少ないのでしょうが、開業した年代はわかりませんね…
上の写真は写りが良かったので切り出してみましたが、その後最新の2005年の写真でも廃業はしていないように見えました。
開業/廃業年はわからないものでしょうか……

とりあえず横道に入ってみます。
この牧場がいつ廃止されたのかはわかりませんでしたが、建物はボロボロ、そのまわりは荒地、さらにこの外側は畑になっています。

この近辺にいくつかあった建物のうち生き残っているもの。
牧場には詳しくないのですが、牛舎か倉庫だったのでしょうか。

その奥にあった建物は崩落しています。あえて破壊したようにも見えるかも。

道路沿いには用途がわからない物が置いてありました。
この奥、かつて放し飼いをしていたと思われる場所は畑になっているみたいですね。

奥から牧場の施設群を見る。
廃墟と化した建物とサイロが見えますが、手前は今でも何かの作業をしていそうな雰囲気もありますね。

標高1000mを超える場所ですから、建築物には厳しい環境だと思います。
風が吹き抜ける音がしました。

中央にある道を通って二本目の横道へ向かいます。
サイロ、つぶれた建物、ボロボロで背が高い建物。

先ほどの建物が見えます。
このサイロの両側に二つの建物が並行して建っていたようですが、廃材の山と化していました。

道路を挟んで反対側にもう一本のタワーサイロが立っています。
道路沿いなので、間近で見ることができる。
こちらは一年遅く造られたのでしょうか。

その隣にはかつての建物だった残骸。
この奥に畑があり、地元の方が作業をしていました。
怖がりなもので、誰もいなかったら荒涼とした雰囲気と熊に怯えてここまでゆっくり歩けなかったかもしれません。

牧場の建物群の南端から。
コンクリートブロックで造られた背の高い建物は比較的よく残っていますね。

二本目の横道へ入ります。
倉庫みたいな建物が並ぶ。タイヤの跡がありますね。

崩壊途中といった感じの建物。落ちたと思われる窓枠が立てかけてあります。
電気が通っていたようで、ちゃんと電線が繋がっていますね。

人が使っていた雰囲気はあります。
二階建てみたいですが、床が抜けていてもおかしくなさそう。

このあたりの建物は、倉庫というより事務所のような雰囲気があるように感じました。
当時の様子がとても気になります…!

こちらは倉庫か車庫のように見えますね。
封印されてから何年経っているのでしょう。。

模様入りガラス

道の奥から。こちらにもつぶれた建物がありますね。
今ある建物もいつ無くなるかわからないよなあと思いながら眺めていました。

一通り見終わったので、少し離れたところから全体を見渡す。
山の上(中腹?)に広がる平地に、牧場の建物と今では畑になった周囲の様子を望む。
この高地にあってこんなに開けた土地があるのは、かつてここが湖だったからのようです。
( https://naeba-geo.org/torikabuto_bokujo )
このあたりはジオパークになっていて、トレッキングコースもあるみたいですね。
いつまでこの風景が見られるのでしょうか。

おまけ 五宝木トンネル

牧場へ向かう途中に、五宝木トンネルというトンネルがあります。
こちらは牧場側。

初めての体験だったのですが、こちらは明かりが一切無い、無灯トンネルでした。
1000mを超える長いトンネルで微妙にカーブがあるために先も見えず、なかなか怖かった…笑

機那サフラン酒本舗 極彩色の鏝絵

鏝絵(こてえ)というものをご存じでしょうか。
左官職人がこてを使って漆喰で蔵の壁などに作るレリーフのことですが、私は建物に興味が出るまでは知りませんでした。

訪問:2023年7月

鏝絵の蔵

長岡市の中心から少し南へ行った摂田屋というエリア。
そこに機那サフラン酒製造本舗があります。最寄り駅は宮内駅です。
左の建物が1894年に建てられた主屋で、そこに繋がっているのが今回お目当ての蔵です。

「吉」の字は主の吉澤仁太郎から。
左端に「佐伊」とあります。

これが鏝絵ですか。。手前の面を見ただけでとても興味が引かれます。
この蔵は1926年に建てられ、中越地震を経て2008年に修復。
現在では登録有形文化財になっています。

こちらの解説板は鏝絵だけでなく、下部のナマコ壁にも着目されていますね。
見ていて飽きないのは鏝絵の魅力だけではないのでしょう。

北の面はこの蔵の魅力を存分に味わうことができます…!
先ほどの東面には神獣が描かれていましたが、こちらには様々な動物と植物が窓の戸に描かれています。

近くで見ると、漆喰の厚さに感心してしまいます。
色どりもとても鮮やかで、鏝絵の沼にはまりそうと感じてしまう…笑
作者は河上伊吉という左官(東面にあった"佐伊"は官の吉という意味でしょう)ですが、ここにある物以外に作品は確認されていないようです。

ちなみに、この窓は長岡空襲の時以外は閉めたことが無いらしい…とガイドの方から聞きました。

主屋入り口の南面。これから中に入ってみようと思います。

内部は展示室となっているみたいです。
主屋から蔵に入るところには恵比寿と大黒。
めでたい。こちらもお見事。

その隣は鶴と亀。縁起が良いですね。

主屋の中はサフラン酒の当時の広告や、昭和の物品が並べられていました。
サフラン酒はサフランを原料とした薬用酒で、このお屋敷を建てられるくらいヒットしたようです。

蔵の二階もかなり見ごたえがありました。
ホーローや木など、様々な看板。

こちらは鏝絵がある窓ですね。
主屋の欄間はこんな金ぴかだったらしい。
サフラン酒によって一代で財を成した吉澤仁太郎の世界観が伝わってきます。

衣装蔵の鏝絵

主屋の隣、先ほどの鏝絵の蔵の反対側には衣装蔵も併設されています。
こちらが建てられたのは1916年と、鏝絵の蔵よりも先に完成しています。
左官工は同じく河上伊吉。初期の作品と言っていいでしょう。
こちらは修復がされていないようで、劣化は進んでいますがそれでも鮮やかな色を見ることができます。

土台の通風孔の扉にビンがかたどられているのも見逃せないポイントですね。
遊び心が感じられます。

今回は鏝絵に注目をしましたが、こちらの機那サフラン酒本舗には他にも色んな建物があります。
戦後になって事業が衰退した後はこちらの建物群も荒れていたようですが、2000年代以降に有志の手によって整備されるようになったということです。
今後、主屋も公開される予定のようなので、再訪したい場所だなと思いました。

三条市の歓楽街と遊郭跡を昼に歩いた

新潟県三条市の歓楽街を歩いてきました。
最初はアーケードが無くなったアーケード商店街をチラッと見ようかと思った程度だったのですが、つい奥のほうへ行ってしまいました。
また、かつてはこのエリアに遊郭からの赤線があったということもわかったのですが、その当時を偲ばせる物件もありました。

訪問2023年4月

元・アーケード商店街

再開発で生まれた商業施設、パルムの西側です。
この通りはかつて300mほどの長さのアーケードがある商店街でしたが、パルムの開発によって100mほどに短縮され、その後2010年にアーケードが撤去されました。
(パルムについての記事はこちら↓)

<電子地形図25000(国土地理院)を加工して作成>

ここでこの辺りの現在の地図を。現在地は緑色エリアの右端。
赤い線がかつてのアーケード商店街、緑色のエリアが2010年までアーケードが残っていた区間で、水色のエリアがパルムの範囲です。
商店街を分断してまで商業施設を建てたとは驚きました。

休日の昼間ということもあってか、人の姿はほとんどありません。
アーケードがあったころの写真もネットで見ることができますが、今とは全く違う町に見えます。


通りには空き店舗がちらほら。
ビル一棟ごと空いていそうなものも。

アーケードがあった区間はすぐに終わってしまいました。
痕跡がないか観察していましたが、それっぽいものは見つからず。

三条の歓楽街へ

本寺小路という少し大きな通りに出ました。
北の方を向くと、立派なお寺が見えます。
このような色の町の近くに寺院があるのはよくあることですよね~

老舗感漂う理髪店。青が映える。

丸窓のある建物に怪しげな写真が笑
そういえばこのあたりでは「寿ビル」の看板がたくさんありました。
牛耳っているのかも。

お寺を背に、通りを眺める。
通りにせり出た看板がたくさん並んでいてにぎやかです。

脇の小道も凝縮されています。普通とは少し変わった建物の形がおもしろいですよね。


少し離れた通り。昭和なスナックの看板と今風なバーの看板。
自分も知ってるキャラの絵を描かれると、入ってみたくなってしまう…笑

この区域が遊郭や歓楽街の範囲とほぼ重なっていると思います。

三条ロイヤルホテル。
年季は感じるけど堂々とした佇まいだと思います。
最上階のおそらく食堂であろう階は気になりますね。


歓楽街エリアの南限である県道へ出ました。
県内ではよく見られる雁木のある商店街ですね(アスファルトが赤茶けているのも新潟らしい)


元の場所へ戻るために東へ向かって歩く。
北に向かう細い路地が何本かありますが、そこにもお店がたくさんあるみたいです。


こんな細い路地でもしっかり夜の町になっているようなところは新潟市でもそうありませんよ。


しばらく歩くとメインストリートの本寺小路。
ここから元のエリアに戻ります。

土曜の昼過ぎは人も車も少ない

花街時代の妓楼


本寺小路を北に進んで最初の角を左に曲がると新小路。
奥のほうに見えていますが、ここに花街だった頃を思わせる大きな物件があります。


それがこの三階建ての妓楼と言われている建物です。
一階部分はきれいでますが、二、三階は時代を感じさせる木材です。
横面はトタンでしょうか。


なんと立派な…!
以前はこの周りにも色々な建物が残っていたようですが、今では昔を思わせるようなものはここくらいでした。
この通りには日本料理屋が何軒かありましたが、華やかさを感じるのはそれくらいですね。見ることができてよかったです。

良い名前のお店

一番見たかったところは見たので、ぶらぶらと散策。
いい店名とロゴですね…笑

こちらもなかなか元ネタに忠実です。
どこまで崩してパロディにするかの線を探っているのかも…笑

これはそのまんまですね…
夜のお店特有の攻めた感じ、好きです。

最後に。
ここはバーですかね。まわりにあるお店に比べてシックで伝統がある感じがします。

誰もいない商業施設 三条市 パルム

新潟県三条市を歩いてきました。
ここに来るまで知らなかったのですが、三条の町中にある商店街のすぐそばに生きてる廃墟のような商業施設がありました。

訪問:2023年4月

再開発事業の名残

三条の商店街を歩いていると、端っこに大きな建物が見えてきます。
上部がマンションになっている商業施設、パルムです。

その足元に一帯の再開発事業の記念碑がありました。
昭和の終わりごろの話のようですね。

この再開発事業の核となるのが、これから見るパルムという商業施設だったようです。

記念碑のある広場にあるすごい色合いの謎オブジェ。
一度も塗りなおされていなさそうな塗装の劣化具合がこの事業のことをよく表しているような…

正面のほうへ回ってみます。
このパルムという施設は3棟の建物によって構成されていましたが、そのうちの一つは現存していません。
二階にある緑色の部分は、このパルム2と道路の向かいにあったパルム1を繋いでいた通路の名残です。

現在、パルム1の跡地には第四北越銀行があります。
パルム1はジャスコをキーテナントにして1988年にオープンしましたが、2001年に撤退。
その後パワーズフジミ(懐かしい名前…)やマルイといった地元スーパーが入りましたが、2010年に閉館となったようです。
かつてここに大きな(調べた限り5階まであった…?)商業施設があったとは…

パルム2の全景。
下の二階までが商業施設で、それより上はマンションとなっています。
こちらの棟だけ見ると商業施設といった感じはしませんね。

入り口。
店舗の一覧がありますが、塾がメインのテナントみたいになっている…

エレガントデパートメントストア。

ロゴも少し昔のデザインと感じられて、個人的に好きです。

こういうところでは外せない、定礎石。
大規模小売店舗を示すプレートにも時代を感じます。

パルム内部の様子

中へ入ってみました。
最初外から見たときは集合住宅の下に何かあるんだなあと思ったくらいでしたが、この様子を見て一気に興味がわきましたね。

一階の正面側で存在感を放っているおもちゃ屋

現役のお店なんだろうけど、貼ってあるポスターは懐かしいものも多いです。
子供の頃の自分だったら大喜びで入っていったことでしょう。

奥のほうは空き部屋が目立ちます。
もちろんちゃんとしたテナントも入っていますが、どうしてもこっちに目が行ってしまう…

階段の下にあるベンチと時計。
時計のほうはからくりが仕込まれているようです。

階段で二階、ファッションのフロアへ上がってみます。
エスカレーターは一時的に修理でもしているのか、それともしばらくこの状態なのか…

一階にいるときから感じていた、しーんとした雰囲気で予想はしていましたが、誰もいません。
どこかに置いてあるラジオの音だけが響いていました。

それでもここはれっきとした専門店街なんだなあと思わせる。
できた当時は人が行き交っていたのでしょうか。

こちらがかつてパルム1との間を繋いでいたデッキの跡。
最初から行き止まりだったかのようです。

近くにあったパルムの全体像。
最後のキーテナントであったマルイが入っているパルム1が残ったままです。
10年以上放置されているということですね…

反対側へ向かうと、パルム3への連絡通路があります。
そちらの棟は一階にお店が入っているくらいで、ほとんど立体駐車場です。

通路を渡って立体駐車場側へ。
カート置き場らしき物が残っていますね。
ここからカートを押してパルム1まで行ったりもしていたのでしょう。

意外と大きい五階建て

連絡通路の片隅に、とても古い案内板が置いてありました!

駐車場無料特約店の案内で、ここにはジャスコの名前も残っています。
パルムの各店舗と商店街のお店で駐車場無料サービスが受けられたのですね。

階段を下りて外へ出てみる。
一階の隅のほうにお店が入っているのがわかります。
ここを進むと一の木戸商店街になります。

降りたところにあった看板。
ジャスコの文字が雑に目隠しされています。2001年からこの状態ということ…

連絡通路の下にはマンションの駐輪場がありました。
住民については心配する必要なさそうな感じがあったので、この建物自体が無くなるのはまだ先でしょう。

土曜の夕方、人とはほとんど出会いませんでした。
かつて明るい廃墟と呼ばれつつも近年賑わいを取り戻したピエリ守山のようになったらおもしろいのですが。
※今回はケンオー・ドットコムというサイトが大変参考になりました。
ネットが今ほど広まっていない時期の話題もしっかり載っているので、中越地域のことを調べるときには重宝しています。