日々のおでかけ記録

町並みや気になった場所の記録

阿賀野川の三日月湖、十二潟のまわりを歩いた

今回は地理が好きな人のほとんどが好きであろう、三日月湖(河跡湖)のまわりを歩いたときの話です。
教科書通りの様子で楽しかったです。

訪問:2022年10月

三日月湖・十二潟


新潟市の北区、阿賀野川の右岸にある十二潟の北端へやってきました。
地図で見ると小さな水辺ですが、思ったよりは大きい(昔は90m近い幅があったらしい)
ここがいつ頃に阿賀野川から離れたのかはよくわかっていませんが、1818年編纂の地図では既に独立していたようです。


かつて阿賀野川の流路が変わったときに取り残された潟で、古阿賀とも呼ばれています。
様々な水生植物の群生地になっていて、自然豊かな印象を受けました。

スイレン科のコウホネ


かつては潟に張った綱を手繰って進む、たぐり舟というもので対岸へ渡っていたようです。
湖岸には新しめな舟がありました。イベントか何かで使うのかな?


北端から阿賀野川のほうには小さな川が流れていました。
かつてはこの方面が阿賀野川の本流だったのですね。


潟の南端まで、外側に続く集落を歩きながら向かいます。
近くにある県道からは十二潟までの行き先案内板が並んでいるので、行きやすい。


このあたりはまだ普通の住宅街という感じですね。
地面はサラサラしていそうな砂でした。


道路沿いにあった建物。もと商店だと思われます。

食品衛生協力の店


道路が潟に近づくところ。
外側の自然堤防上の砂地に畑が立地する、河川跡らしい風景です。

豊栄市の境界杭


十二潟には橋が二つ架けられており、それによって3つに区切られた潟をそれぞれ上池・中池・下池と呼ぶそうな。
この橋の右が上池、左が中池です。

上池の様子。何の変哲もない池のように見えます。
幼い頃に近くにこんな水辺があったら遊んでいたかもなあ。


近くの小学校では校外学習(総合かな)の題材に取り上げているようです。
ガガブタを擬人化したと思われるお姉さんのキャラデザが良いですね~

再び潟沿いの道を進む。十二潟の由来となったと思われる町はこのあたりなんですね。

しばらく潟が見えにくい道を歩いて二つめの潟を渡る道路へ。
向こうには田んぼが一面に広がっています。
左の下池側に広場がありますね。

未来に残してほしいものです

この広場はコウドという舟の渡し場の跡地のようです。


ここは十二潟と触れ合うスペースなのかもしれませんね。
こういった展示を見ると自分の小学生時代が少し思い起こされますね…笑


潟に面したベンチ。
水面には水草がたくさん浮いています。時おり魚が顔を出す様子も見えますし、鳥の姿もありました。
自然豊かです。


南の端を目指して下池沿いを歩いていきます。
この道路のある部分が、周りより一段高くなっていることがよくわかる場所がありました。
右側に十二潟がありますが、これぞ自然堤防ですね~!

潟の解説が目立たないところにありました。昔の写真も。


また少し歩いて潟の南端までやってきました。
もう潟が終わって水路になっている部分ですね。


十二潟の南端から阿賀野川のほうを見る。
やはり昔はここが大きな川の本流だったとは思えない風景ですね。
阿賀野川に残る唯一の三日月湖として、これからも残り続けてほしいものです。

(参考)

十二潟 | 潟のデジタル博物館(新潟市公式)

阿賀野川の旧河道の名残「十二潟」のガイドブックのご紹介! | 阿賀野川え~とこだ!流域通信