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北陸の難所、親不知の旧国道8号を歩いた

新潟県糸魚川市の親不知は、切り立った崖が海に面している地形で、古くから交通の難所として知られていますが、明治時代に国道8号が開通します。
それから戦後に崖の中を貫くトンネルができるまで使われていた旧道は、現在は歩道として開放されています。

訪問:2022年4月


旧道の始まりは国道8号沿いにある親不知観光ホテルから。
このときは北陸本線の旧線を見に行くのが主目的でしたが、そちらもここから行けます。


ホテル前の道路が既に旧国道8号なのです。
ジオパークということで、わかりやすい案内板もあります。


眼下にかつての北陸本線の跡が見える。。
こちらが気になった方はのブログ記事も見てみてください。


先ほどの地点の真下には北陸本線のトンネルがあるので、歩いて反対側まで出てきました。
トンネルがある場所から旧道に上がる階段がなかなかハードでした…笑


旧道を富山方面に向かって歩いてみる。
1883~1966年まで使われていたこの道の、かつての姿が残っています。


先ほどの看板にもあった、3種類の防護柵。
最も崖際にある石柱が初代で、錆びたワイヤーのものが2代目でしょう。
この道路の歴史が具現化したような一角でした。


とりあえず富山方面へ進む。こう見るといまでも通用しそうな道路ですが、国道8号だと考えるとさすがに狭い。
ここを人や馬や車はもちろん、バスも行き交っていたのだからすごい。。


現役の8号にあたったところで歩道の終点です。



新潟方面にあるこのトンネルが、1966年に開通した天嶮トンネルです。
北アルプスの端である親不知の岸壁をくり抜いたこのトンネルの開通により、崖際を行く道路は役目を終えました。


対岸に目を向けると、そちらにも旧道らしきものがありました。
あれも当時の8号の一部でしょう。


旧道を引き返してスタート地点へ向かいます。海側には新しい柵が並んでいますが、国道だった当時は外側にある低い壁だけだったのでしょうか。
この下は断崖絶壁です。。

道路沿いの岩壁に、矢如砥如(右から読んで、とのごとく やのごとし)と刻まれています。
砥石のように滑らかで矢のようにまっすぐという意味ですが、いかにこの道路の開通が喜ばれたのかということが伝わってきますね。

天下之嶮

この道路が開通する前は崖の下の海際を歩くしかなかったということを思うと、現在では細く感じるこの道も偉大なものに見えますね。どれだけ安全性が上がったか…!


これは建設中の写真だそうです。
岩を削ってなんとか平坦な道を確保したという感じに見えます。
これでも荒波におびえながら波打ち際を歩くより良いですよね。

下に見える日本海はとても澄んでいました。川が無いからかな。
昔はわずかに砂浜があったようで、そこを通っていたんですね。


新潟方面にはこの道路の詳細な解説がありました。
この区間にまつわる、色々な恐ろしいエピソードやスポットなどが紹介されています。
個人的に親不知と言えば、悲惨な歌詞の合唱曲(歌詞)も印象深いですね。。


この区間は波打ち際、旧国道8号、現在の国道8号北陸自動車道の四つで、四世代道路と言われているようですね。
この旧道の建設のきっかけが明治天皇にあるということもおもしろい。

前日に撮った、夕日に照らされる親不知

旧道の新潟側の端からは、日本海に飛び出した北陸自動車道を見ることができます。
この区間は走ってもおもしろいですよね。


最後に、親不知観光ホテルに飾ってあった当時の写真を。
この道路が旧道になった直後、1967年の写真のようですが、このころはまだ砂浜が残っていますね。
東西を行き来するにはここを歩かなくてはならなかったとは恐ろしい。。

この日の朝の海岸の様子。富山方面。

ちなみにホテルの下あたりの海岸には降りることができますが、やはり砂浜は全くありませんね。
天気がいい日だったけど比較的波はあったので、いかに厳しい場所なのかがわかります。